2019年11月02日

神戸ハリストス正教会

正教会とはキリストから2000年間連綿と受け継がれてきた歴史と伝統に誇りを持っている教会派で、ギリシア正教とかロシア正教といった風に各国で一つの教会組織を置くことを原則としています。西欧側からは東方教会とも言われますが、本来的な言い方としては正統を意味する「オーソドックス」が使われます。ハリストスは、ヘブライ語の「メシア」のギリシア語訳から来たもので、「キリスト」を意味します。神戸でのオーソドックスの歴史は古く、1873年にイオアン小野壮五伝教者が正教を布教したことに始まります。第二次世界大戦後、コスモポリタンチョコレートで有名なV・モロゾフの尽力で、ここに生神女就寝聖堂(ウスペンスキー教会)が建立され、それが1968年に神戸ハリストス正教会となったものです。この教会は、なかなか公開されている時間が少ないのですが、礼拝のタイミングであれば見学できます。聖堂維持のための「ろうそく献金」をして、露出の多すぎない服装で礼節を守って内部を見せてもらいましょう。なお、聖堂内の撮影は禁止されています。

所在地:〒650-0003兵庫県神戸市中央区山本通1-4-11

[ここに地図が表示されます]


DSCN4493.JPG

DSCN4492.JPG

DSCN4491.JPG



posted by かずぼん at 10:51| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

道頓堀川水門

道頓堀川と木津川の合流点に設けられた、メタリックな水門。とんぼりウォーク等、水都大阪復活をめざした河川整備の一環として、水質浄化や水位の一定化などの目的により2001年3月に建設された。道頓堀川水門と東横堀川水門との開閉操作によって、東横堀川と道頓堀川の水質の浄化をしています。これは、道頓堀川水辺整備事業の一環で、上げ潮と下げ潮の潮位を利用して、道頓堀川への水の出入りを調節して、寝屋川の汚れた水は大川に流して、道頓堀川を浄化しようとするものです。 水門は左岸側と右岸側の2門になっていて、左岸側の下流のラジアルゲート型水門と、上流川のマイタ−ゲート型水門の操作で、船を航行させる閘門の機能を持っている。右岸側は、スルースゲート水門になっています。道頓堀川水門に最も近づけるのは、上流側では日吉橋、下流側は、木津川にかかる大正橋の西詰です。ゲートの上に水門似つかわしくないような、すっきりとした管理棟を付けて、街中に溶け込むデザインになっています。ゲートの幅は、右岸側・左岸側ともに10m位のもので、コンパクトな設計の水門です。なにわ探検クルーズの川の環状線コースに乗船すると、この、道頓堀川水門と、東横堀川水門の両方を間近に見ることができる。


所在地:大阪府大阪市西区南堀江4、浪速区幸町3





DSCN5056.JPG

DSCN5064.JPG

DSCN5058.JPG

DSCN5062.JPG

DSCN5063.JPG




posted by かずぼん at 22:29| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

西横堀の水門

西横掘川はもうないのに水門だけが残っているのが不思議だが、ほんのわずかだが開いている。2017年4月28日に見に行ったが見当たらなかった。多分取り壊されたのだろう。

所在地:大阪府大阪市西区南堀江1-6
建設年・設計者共に不明



posted by かずぼん at 11:00| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

旧陸軍工兵第四聯隊営門柱・哨兵所

門扉は戦前のもの。レンガ造りの営門の右手前にひっそり哨兵所が建っている。設計建築共に不詳。建設年は1920(大正9)年前後と推測される。

所在地:大阪府高槻市城内町城跡公園

J0010727.jpg

J0010728.jpg



posted by かずぼん at 20:00| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

相楽園

相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m2の都市公園・日本庭園。日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。ツツジの名所として知られる。

○概要
三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから失われた邸宅の雄大さをうかがうことができる。第二次大戦後になって神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設されて現在の景観に至る。

○施設
船屋形(1682年〜1704年間に建造、神戸市垂水区から移設、1953年8月国の重要文化財に指定)
旧ハッサム住宅 (1902年築、神戸市生田区(現・中央区)北野町から移築、1961年6月国の重要文化財に指定)
旧小寺家厩舎 (1908年築、1970年6月国の重要文化財に指定)
相楽園会館
茶室「浣心亭」
池泉回遊式日本庭園

○利用情報
開園時間−午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
休園日−毎週木曜日(祝日の場合は開園、翌日休園)、年末年始、菊花展期間は無休

○所在地
〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1

○交通アクセス
神戸市営地下鉄西神・山手線県庁前駅徒歩5分
阪急神戸高速線花隈駅徒歩10分
阪神本線元町駅徒歩10分
JR神戸線元町駅徒歩10分

DSCN0638.JPG

DSCN0637.JPG

DSCN0636.JPG

DSCN0641.JPG

DSCN0639.JPG

DSCN0642.JPG

DSCN0643.JPG

DSCN0644.JPG

J0010692.jpg

J0010691.jpg

DSCN0645.JPG

「旧小寺家厩舎」
旧小寺家厩舎は兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある西洋スタイルの厩舎建築。建築家河合浩蔵の設計で1910年に竣工したもの。1970年に国の重要文化財に指定されている。この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つである。建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造である。外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。
○建築概要
設計―河合浩蔵
竣工―1910年頃
構造―煉瓦造2階建て(2階部分は木骨煉瓦造)、一部吹抜、塔屋付、スレート葺
建築面積―188.1m2
所在地―〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内

DSCN0647.JPG

DSCN0648.JPG

DSCN0646.JPG

「旧ハッサム住宅」
旧ハッサム住宅は兵庫県神戸市中央区にある異人館。設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。竣工は1902年。広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。
○歴史
1902年に神戸市中央区北野町2丁目の旧ドレウェル邸(ラインの館)北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム(J.K.Hassam)の邸宅として建てられた。1961年に当時の所有者である神戸回教寺院が神戸市に寄贈し、1963年に元町の山手にある相楽園内に移築保存された。1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯である。
○利用情報
相楽園閉園日―毎週木曜日定休、祝祭日にあたる場合は開園、翌日休
邸内公開時期4月20日〜 5月31日(毎週木曜日定休、祝祭日にあたる場合は開園、翌日休)10月20日〜11月23日(期間中無休)
公開時間午前9時〜午後4時30分
○建築概要
建築主―J.K.ハッサム
設計―A.N.ハンセル (推定)
竣工―1902年(明治35年)
構造―木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、外壁下見板張、ベイウインドウ、鎧戸、ペジメント
延床面積―397.58m2(1階173.61m2、2階179.73m2、地階5.42m2、附属棟29.18m2、倉庫9.64m2)
所在地―〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内

DSCN0649.JPG

DSCN0650.JPG

DSCN0651.JPG

「船屋形」
船屋形は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物"川御座船"である。御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。この建物は江戸時代、姫路藩(姫路市)で使用されていた川御座船の屋形部分にあたる。建造年については、飾り金具の本多氏家紋の痕跡から1682年から1704年の間とされている。幕末は飾磨港(現在の姫路港)にあったが、明治になって移築する際に船体部分が破棄され屋形部分も大幅に改変された。昭和14年、垂水区舞子に復元移築され、1980年(昭和55年)には現在の相楽園に移築された。
○建築概要
建造年-天和2年(1682年)から宝永元年(1704年)の間(推定)
構造-木造2階建、桁行五間、梁間一間、一重二階、切妻造段違、檜皮葺
建築面積-43.74m2
所在地-〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内
重文指定年月日-1953年(昭和28年)8月29日









posted by かずぼん at 20:44| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

旧神戸居留地煉瓦造下水道

神戸旧外国人居留地の浪速町筋と明石町筋に残る下水施設。口径約90cm円形管90mと,口径60×46cm卵形管1.5mからなり,いずれも煉瓦半枚厚。我国最初期の近代下水施設であるとともに,最初期の煉瓦造構造物のひとつ。英国人技師ハートの設計。

所在地:兵庫県神戸市中央区浪花町・明石町

J0010642.jpg

J0010643.jpg

J0010645.jpg

J0010644.jpg



posted by かずぼん at 15:39| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧神戸港信号所

旧神戸港信号所は、兵庫県神戸市中央区の高浜旅客ターミナル(高浜岸壁)南端にある歴史的建造物。

○概略
神戸港に現存する最古の信号所建造物。高さは46.3m。内部には2階にのぼるための手動のエレベーターがある。当初は信号旗を使用。その後発光信号に変更され、1990年(平成2年)に新港第5突堤で信号所としての役割を終えた。現在はハーバーランドのシンボルタワーとして高浜岸壁南端に移築され、保存処置が講じられている。夜間はライトアップされる。

○年譜
1921年(大正10年)-新港第四突堤に建設
1937年(昭和12年)-新港第5突堤に移動
1985年(昭和60年)-ポートアイランドに新信号所設置
1990年(平成2年)-業務移行により閉鎖
1992年(平成4年)-歴史的建造物として保存が決定

DSCN0595.JPG

DSCN0597.JPG

DSCN0596.JPG

DSCN0598.JPG



posted by かずぼん at 11:00| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

造幣局旧正門

桜の通り抜けで親しまれる造幣局内の通路途中に、八角形の古めかしい番所を持つ門がある。明治4年造幣寮(造幣局)創設当時の正門である。この設立にも五代友厚がかかわっている。

所在地:大阪府大阪市北区天満1丁目

J0010499.JPG

J0010501.JPG

J0010504.JPG

J0010498.JPG

J0010505.JPG

J0010503.JPG



posted by かずぼん at 20:00| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

毛馬水門

毛馬水門は、大阪府大阪市北区にある淀川と旧淀川(大川)を隔てる水門。大川に流れる水量を調整する役目と同時に、淀川と大川の水位差により困難となる船舶の通過をスムーズにさせるための設備である閘門 および 大川の水を強制排水するための機能を備えている。国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所毛馬出張所 および 大阪府西大阪治水事務所 が管理している設備のうち、「毛馬閘門」「毛馬排水機場」を含む旧淀川側にある施設について解説する。
○歴史
毛馬水門は、明治29年(1896年)に開始された新淀川の開削を含む淀川改修工事の際に計画され、明治40年(1907年)8月に最初の設備として、普段の川の水を流すための「毛馬洗堰」と船舶通過のために水位を調整するための「毛馬閘門」が完成した。現在の毛馬排水機場の西側に設置された。その後に行われた大川の浚渫工事で、大川の水位は大幅に下がり、新淀川との水位差が広がり、閘門が対応できなくなったため、最初の閘門の下流に二つめの閘門が大正7年(1918年)に設置された。水位調節は第二閘門が行い、第一閘門は常時は解放して新淀川の水量増大時に閉鎖する役目となった。1974年(昭和49年)に現在使用されている閘門が完成、第一閘門、第二閘門は1976年(昭和51年)まで併用され、その後第一閘門周辺は公園施設として整備された。第二閘門水路は現在は舟溜まりとして使用されている。1983年(昭和58年)までに現在の淀川大堰・毛馬排水機場が完成した。

○施設概要
毛馬排水機場は、洪水の際に大川の水量・水位が上昇したり、高潮の際に安治川や木津川など下流のの水門が閉鎖された場合にポンプにより新淀川へと排水を行なうための設備である。1981年(昭和56年)に設置された。普段は閘門の横にある径間7m×三連の水門を調節して下流に流れる水量を調節し、異常時に水門を閉鎖し、場合によりその西にある排水設備で排水するようになっている。毛馬閘門は毛馬水門の東にあり、さらに東に予備の閘門があるが現在は使用されていない。排水機場と閘門の間の北側延長上に淀川大堰がある。

・旧第一閘門
第一閘門は、内務省土木監督署の技師沖野忠雄の指導による淀川治水計画の一環として設計施行されたもので、両岸がレンガ造りとなっており、水路前後に鉄製観音開きの制水扉が設置され、両岸からハンドルを回して開け閉めした。現在は使われておらず、貴重な産業遺産として一部が淀川河川公園の一施設として整備保存されている。2008年(平成20年)6月に旧毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定された。
水路長さ:約80m
水路幅員:約10m
側壁高さ:約8m

J0010116.JPG

J0010126.JPG

J0010125.JPG

J0010117.JPG

J0010130.JPG

J0010131.JPG

・旧第一閘門周辺
旧第一閘門東の一角に「淀川改修紀功碑」がある。明治43年(1910年)に淀川改修工事完了を記念して建てられた。その横に毛馬北向き地蔵の祠がある。その周囲に「毛馬の残念石」という大きな石が数個転がっており、江戸時代に大坂城を再建するときに伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落し、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされる。上流側の門のそばに新淀川開削や毛馬洗堰造築で活躍した沖野忠雄の像がある。さらに東に旧毛馬洗堰三門が保存されている。レンガと花崗岩で構築され、かつては総延長53m、十門のゲートがあった。第一閘門西側にはかつて長柄運河が流れており、閘門下流側門そばに「眼鏡橋」が設置された。現在は運河は埋め立てられたが、眼鏡橋は修復のうえ保存されている。

○所在地
〒531-0063 大阪市北区長柄東3-3-25

[ここに地図が表示されます]


J0010111.JPG

J0010108.JPG

J0010107.JPG

J0010113.JPG



posted by かずぼん at 22:49| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

淀川大堰

淀川大堰は大阪府大阪市都島区毛馬町4丁目と東淀川区柴島2丁目にまたがる、一級河川・淀川本流に建設された堰である。国土交通省近畿地方整備局と独立行政法人水資源機構が共同で管理を行う可動堰で、1964年(昭和39年)に完成した長柄可動堰を改造して1983年(昭和58年)に完成した淀川最下流にある河川施設である。大阪府と兵庫県への上水道と工業用水道供給を目的にしている。
○沿革
古くから京阪神の大動脈として利用されていた淀川であるが、戦後高度経済成長に伴って阪神工業地帯の生産が拡大。それに伴って大阪市を中心とする地域では人口が爆発的に急増した。このため従来の水道施設では増え続ける人口へ対処できないことから、新たな水資源の開発が課題となった。1962年(昭和37年)、水資源開発促進法が制定されて首都圏と関西圏への水資源需要に対応するための水資源開発公団が発足。淀川水系は利根川水系と共に水資源開発を重点的に行う「水資源開発水系」に指定された。これにより淀川水系では淀川水系水資源開発基本計画が策定され、上流部に高山ダム(名張川)・青蓮寺ダム(青蓮寺川)・室生ダム(宇陀川)が建設された。下流部には新淀川と旧淀川分離の際に建設された可動堰があったが、これを改良して大阪府・兵庫県への新規上水道・工業用水道供給を行うことを目的に改造。1964年8月1日に旧大阪中央環状線・長柄橋沿いに長柄可動堰が完成した。その後建設省近畿地方建設局は1971年(昭和46年)3月に淀川水系の治水計画の基本となる淀川水系工事実施基本計画を改定し、淀川下流部における計画高水流量を大幅に改定した。この中で200年の一度の水害に対応する治水計画にするため、予想する流量を当初計画の約二倍にあたる毎秒12,000tの洪水量とした。こうした大幅な流量増加に対応すべく上流では日吉ダム(桂川)・比奈知ダム(名張川)の建設、中流部では堤防の増強、下流では新淀川・旧淀川の掘削と拡張によって治水を行おうとした。ところが、下流部の河道掘削と拡張を行う際に、長柄可動堰は洪水を安全に流下させる阻害要因になることが判明。可動堰の改築が課題となった。また、大阪市内の急激な人口増加は下水道の整備に遅れを生じ、大阪市内の河川は軒並み水質が極度に悪化。「ドブ川」の状態となり河川環境は著しく損なわれた。こうした大阪市内の河川浄化も大きな課題となり、流量の豊富な淀川から一定量の水量を供給して水質悪化を改善する必要が生じた。こうした要因から建設省は長柄可動堰を撤去し、旧淀川分流点直上流部に新しい可動堰の建設を1982年(昭和57年)より着手し、翌1983年に完成させた。これが淀川大堰である。

○目的
淀川大堰の目的であるが、まず長柄可動堰以来の目的である上水道と工業用水道については大阪市とその周辺自治体及び兵庫県に毎秒10トン、阪神工業地帯に毎秒10トンの用水を供給する。次に不特定利水であるが、これは大阪市内を流れる旧淀川とその分流である木津川、安治川、道頓堀川やここから取水する大阪城の堀に対し、従来は最大毎秒70トンの河水を一定量放流していた水量を大阪湾の満潮時には毎秒100トン、干潮時には毎秒40トンに量を調節して放流する。平均放流量は毎秒60トンであるが、一日のうちに水量を増減させて放流することにより人工的に洪水を起こし、滞留していた汚水を大阪湾に流して水質汚濁を改善させる。こうした人工的に洪水を起こす放流操作をフラッシュ放流と呼び、全国の国土交通省直轄ダムで実施され河川環境の改善に実績を上げている。こうした操作を行うため従来旧淀川に建設されていた毛馬洗堰は改築され、毛馬水門(毛馬閘門・毛馬排水機場)、一津屋樋門など関連施設を一括して連携操作を実施する。こうした連携操作を行うために国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所が操作管理を実施することになった。しかし利水事業は当初から水資源機構が行っていることから、淀川大堰は国土交通省と水資源機構の共同管理施設となった。ただしフラッシュ放流による旧淀川筋の水質管理と監視は、水資源機構が国土交通省の委託を受けて実施している。また、上水道や工業用水道を目的にしているため、主務大臣は国土交通大臣と上水道事業を管轄する厚生労働大臣、工業用水道事業を管轄する経済産業大臣の三大臣による事業となっている。こうして旧淀川の河川環境改善に淀川大堰は効果を発揮しているが、反面淀川本流の生態系に影響を及ぼしているという指摘がある。淀川下流はヨシなどが生い茂る中州が多く、こうした環境に好んで棲息する絶滅危惧種のイタセンパラが多く棲息している。ところが淀川大堰の完成によって水がたまる湛水(たんすい)域が拡大し、こうした中州が水没したことからイタセンパラの棲息数が減少している。これに対処するため国土交通省は淀川下流部に人工的なワンドを設け、棲息数維持を図ろうとしているが、現状としては減少傾向が続いている。

○アクセス
淀川大堰へは阪急千里線・柴島駅(くにじまえき)で下車するか、自動車では阪神高速12号守口線・長柄出入口下車が最寄となる。大堰付近は河川敷が整備されていることから散歩をする住民も多い。


○左岸所在地
大阪府大阪市都島区毛馬町

○右岸所在地
大阪府大阪市東淀川区柴島

[ここに地図が表示されます]


J0010110.JPG

J0010051.JPG

J0010050.JPG

J0010112.JPG

J0010114.JPG

J0010049.JPG

J0010052.JPG



posted by かずぼん at 22:46| 構築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする